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2006年1月

2006年1月30日 (月)

ソフト開発の組織論

 以前から、ソフト開発はアニメ制作に似ていると考えています。
 オブジェクト指向により、その傾向が強まったのではないかと思います。
 ソフト開発ではプロジェクトを推進する際にチームを組むのですが、そのチーム構成に納得がいっていません。大抵、機能ごとにメンバーを配置するからです。アニメ制作の作画監督にあたるメンバーが必要ではないかな?と思うのです。
 具体的に、アニメ制作をソフト開発に当てはめると以下のようになります。
 ・「プロデューサー」→「プロジェクトマネージャー」
 ・「監督(ディレクター)」→「プロジェクトリーダー」
 ・「シナリオライター」→「要求仕様書作成担当者」
 ・「演出」→「シーケンス作成担当者」
 ・「絵コンテ」→「ITアーキテクト/全体設計」
 ・「キャラクターデザイン」→「データベース/クラス作成担当者」
 ・「作画監督」→「チーフプログラマー」
 ・「アニメーター」→「プログラマー」
 ・「制作進行」→「ドキュメント管理者」

 『人月の神話』では、ハーラン・ミルズの案が掲載されています。
 ・執刀医:チーフプログラマ
 ・副執刀医:執刀医の補佐
 ・管理者:調整役
 ・編集者:文書作成
 ・秘書:管理者と編集者の補佐
 ・プログラム事務係り:メンテナンス
 ・ツール製作者
 ・テスト担当者
 ・言語エキスパート

 日本ではこの構成は無理でしょう。それは、機能ごとの担当プログラマがいないからです。
 しかし、アニメ制作のメンバー配置だと機能ごとにプログラマーを配置できます。日本のソフト開発には、アニメ制作の方式があっているのでないかと思います。
 演出(シーケンス)と絵コンテ(全体設計)はひとりでこなせますし、キャラクターデザイン(データ設計担当者)と作画監督(チーフプログラマー)もひとりでこなせます。作画監督(チーフプログラマー)がいるので作画(プログラム品質)は維持されますし、規模が大きくなれば総作画監督や助監督を置くことで対処できます。

 何より毎週30分間のアニメ番組を放送するのですから、テスト期間が短いとはいえ制作が決定したあとは2ヶ月程度で作成していることになります。(作画は1ヶ月ローテーションと聞いたことがある)これだけ実績がある組織体制なのですから、十分にソフト制作に展開できるのではないかと考えます。

 将来、このような組織運用方法を模索していけたらいいな。

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新時代の展望

 関東大震災前後と阪神淡路大震災前後の状況は非常に似ている。
 大戦景気(1915~1918)-バブル景気(1987~1990)
 戦後恐慌(1920)-バブル崩壊(1991~)
 関東大震災(1923)-阪神淡路大震災(1995)
 金融恐慌(1927)-金融危機(1997)
 世界恐慌(1930~)-ITバブル崩壊(2000)
 ただし、各国の基礎体力が昭和初期ほど脆弱ではないので、恐慌には至っていないと思う。

 また、交通網とインターネット網を結びつけると分かりやすい。
 鉄道-ブロードバンド
 自動車-無線(携帯端末)
 交通網ではヒトやモノを運ぶが、インターネット網ではデータを運ぶ。
 ライブドアや楽天の社長はテレビ局を買収するときに「テレビとインターネットの融合」という曖昧模糊な言葉を使用していたが、インターネット網で配達する映像データがほしいだけである。テレビ局を買収すると、グループ企業が持っている著作権を獲得できる。
 下世話な話で例えると、デリヘルをやっている企業主が「かわいいけどお金のかからないデリヘル嬢」をほしがっているにすぎない。

 それに対して、ソフトバンクやUSENは鉄道会社のようなことを行っている。
 ソフトバンクはYahoo!JAPANを持っていた。鉄道会社で言えば、テーマパークを持っていたことになる。そこで鉄道をひいた。それがYahoo!BBである。
 USENは光ファイバー網を持っていた。鉄道はすでにひかれていたことになる。GyaOはその鉄道を利用して映像ソフトを運ぶことを選択したと言える。しかも、テレビと同じ方式で「放送」をインターネットで行ったわけである。USENは最もテレビとインターネットの融合を意識した企業であろう。
 ソフトバンクがそれに追随してインターネットテレビをはじめた。今年は「テレビとインターネットの融合」を多くの日本人が実感することになるだろう。

 それに対してアップルは、「放送」ではなく「配達」を選択している。iTunes Music Store(iTMS)で音楽を販売して、Podcast(ポッドキャスト)で音声を無料配達している。
 今後、音楽・音声ソフトから映像ソフトへの移行が進展することが予想される。そうなると、インターネットテレビVSポッドキャストという構図が現れることになる。録画を考えるとポッドキャストが有利だが、映像配給会社はインターネットテレビの方がコピーのリスクを抑えられると考えるだろう。映像配給会社の動向が鍵を握っていると言える。

 ソニーは利便性の向上と著作権の保護に挟まれて苦しんでいる。その間隙をアップルにつかれたと言える。
 携帯音楽端末から携帯映像端末に舞台を移し、アップルとソニーが競争することになる。ソニーが勝利をおさめるには、どこまで利便性を向上できるかにかかっている。音楽と同様に著作権に縛られるようだと復活は見えてこない。

 ソフトバンクが携帯事業をはじめる理由は、鉄道だけでなく自動車も支配したいからである。
 インターネット網では相互乗り入れが可能であるという部分が交通網と異なる。鉄道会社が鉄道に加えてバスを走らせる以上に、ブロードバンドと携帯電話は相性がよい。
 次世代携帯電話では動画配信が可能だろう。そのときにソフトバンクがどのような映像配信の仕組みをつくるのか注目したい。

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2006年1月17日 (火)

TRPGの影響力

 私がTRPG(テーブルトークRPG)を知ったのは、パソコン雑誌の「ソードワールドRPG」に関する特集記事でした。ルールブックとリプレイ集を買ったのですが、遊び方が分からなくてお蔵入りしていました。しかし、高校でTRPGを遊びはじめた連中がいて、彼らに誘われる形で実際に遊ぶことができました。

 ここで、簡単にTRPGを説明します。
 TRPGは、1人のGM(ゲームマスター)と複数のプレイヤーがテーブルを囲んで、話し合いながら物語をすすめていくロールプレイングゲームです。コンピュータRPGに「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」などがあるように、TRPGにもいろいろなゲームがあります。
 プレイヤーはキャラクターを作成し、そのキャラを演じます(ロールプレイ)。GMは物語の進行役で、キャラの行動に障害を設けて物語を演出します。このとき、ダイス(さいころ。4面6面8面10面20面のダイスがある)を使用して行動の成否を決めます。ダイスの目標値の目安はルールブックに記載されていて、簡単なことは成功しやすく、難しいことは成功しにくいように設定されています。

 そんなTRPGという遊びなのですが、最近読んだ本で多くのクリエーターが体験していることが分かってきました。「萌えの研究」(大泉実成)を読むと、「月姫」「Fate」の奈須きのこ、「ひぐらしのなく頃に」の竜騎士07は、原点がTRPGらしいのです。(それにしてもこの本、萌えの研究のためにライトノベルから入るとは……漫画かゲームから入るのが普通じゃないの?)
 「テヅカ・イズ・デッド」を読むと「ガンスリンガー・ガール」の相田裕もTRPG出身とのこと。大塚英志が「キャラクター小説を書くにはTRPGをやってみろ」という感じのことを言っていたと思うが、まさにそういう展開になっています。ただし、これらの作品は大塚英志の思い描いていることには合致していない──むしろ、よりキャラクターに引っ張られているような印象を受けます。

 「ゲーム的」というと多くの人はコンピューターゲームを想像します。かつて、「スレイヤーズ」の神坂一の小説もゲーム的と称されました。自分はTRPG的な制限付自由にあふれているからゲーム的だと受け取ったのですが、多くの人はコンピューターゲームを想像してゲーム的と言ったのでしょう。
 コンピュータゲーム的な面白さの導入は、「キン肉マン」や「ドラゴン・ボール」が行ったと思っています。戦闘力を数値で表現したことに、それが顕著に現れています。これ以後、多くの作品で数値が使われるようになりました。
 また、コンピュータRPGとTRPGで、どちらの影響を強く受けているかについては、数値の大きさでわかります。
TRPGではめったに100を超えることがありません。TRPGでは手計算のことが多いので、なるべく小さな値を使用するからです。

 以上より、実際にクリエーターになった人の「ゲーム的」な感覚は、TRPGから得ている可能性も考えておくべきだと改めて感じました。キャラを立たせるには、TRPGは有用です。

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2006年1月16日 (月)

テヅカ・イズ・デッドについて

 自分の読み込み方が足りないんだけど、「キャラ⇔キャラクター」と「うさぎのおばけ⇔まんがのおばけ」の違いがわからない。ともに、「ファンタジー⇔リアリティ」ということではないのかな? それを表層部分と深層部分で分けただけのように感じます。

 伊藤さんも紛らわしい言葉じゃなくて、もっとかちっとした言葉を使えばよかったのに。この「テヅカ・イズ・デッド」の書き方では、自分も含めて多くの人が誤った解釈していると思います。

 自分は、外見・心理・生活の3つに「ファンタジー⇔リアリティ」の軸があると思うので、2つの軸で論理展開することに違和感があります。外見は「うさぎのおばけ⇔まんがのおばけ」、生活は「キャラ⇔キャラクター」なのは理解できるですが、心理がどちらに含まれるのか分かりません。そして、少女漫画を十分にフォローできなかった原因はここにあるのではないかと思います。

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2006年1月13日 (金)

古代史について

ここ2~3年ほど古代史関連の本を読んでいて、漠然と想像できたことをメモしておきます。

・アマテラス=ヒミコ+トヨ
・神功=トヨ
・神功と継体はともに息長系
・葛城系と息長系は、天智系と天武系のような関係か
・任那は現在の米軍基地のような存在
・百済と倭は軍事同盟を結んでいた
・帰化人(渡来人)は、貴族・学者・職人などが畿内に、難民は東国に配置された
・新羅が朝鮮半島を統一して難民が発生した状況は、太平洋戦争終戦後の状況と似ているのかもしれない。

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2006年1月 8日 (日)

オブジェクト指向による「萌え」解説

 『テヅカ・イズ・デッド』(伊藤剛)をパラパラと読みました。伊藤剛さんについては全面的には賛同できない(自分の主張に合致する作品を作為的に選んでいる気がする)のですが、「萌え」によるオタクのパラダイムシフトが起こっている可能性があると感じました。
 そして、「オブジェクト指向」がようやく理解できるようになり、ふと、「『萌え』はオブジェクト指向で論理的に説明できるのでは?」という思いが芽生えてしまいました。
 そこで、オブジェクト指向を使用して、「萌え」についてまとめてみようと思います。

 まず、「キャラ」についてオブジェクト指向で定義します。
 仮にAというキャラがいるとします。これをオブジェクト指向で言えば、Aというクラスがあるということになります。パロディなどの同人活動では、Aというクラスを継承したA’というクラスを使用して漫画やゲームを作ります。「萌えキャラ」をつくろうとしたとき、原作者はクラスAでconstを使ったり、privateで完全に隠蔽してはいけません(protectedを使用すべきです)。仮にAに萌えて加工したいと思っても、自由にA’を作成できなかったら魅力が半減するからです。
 あらゆるキャラとはスーパークラスであり、萌えキャラとは自由に改変できる便利なスーパークラスなのです。もしも、constやprivateで隠蔽してしまった場合、作家性というものが生じます。作家性は物語では重要ですが、キャラを立てることに対しては不要なものです。浦沢直樹や矢沢あいは作家性はありますが、キャラは立っていません(同人のネタとして使用しづらい)。萌えキャラを登場させた場合の作家性は、「どのキャラをどのように配置するかという選択」によって発揮するしかないのです。

 次に、「萌え」をオブジェクト指向で解説します。
 萌えには、大きく分けて「キャラ萌え」と「シチュエーション萌え」の2種類が存在します。「キャラ萌え」は男性の萌えに多く、属性に萌えます。また、「シチュエーション萌え」は女性の萌えに多く、2種類以上のキャラの関連性に萌えます。前者は「脳内彼女」、後者は「攻×受」が代表的な例です。おそらく、萌えに対する理解が進まないのは、2種類の萌えが同列に語られているからだと思います。
 クラスAに萌えるときに、Aのメンバ変数(例:衣装=メイド服)に萌えると「キャラ萌え」で、A→B(またはB→A)のメソッド(例:AがBをにらむ)に萌えると「シチュエーション萌え」になります。また、A→A(例:Aがメガネをかける)という自己完結のメソッドに萌えた場合は「キャラ萌え」に含まれます。

 さらに、「属性」をオブジェクト指向で解説します。
 オタクが萌える能力を身につけると、次第に特定の傾向のキャラに萌えやすいことが分かってきます。これを「属性」と言います。例えば、メイドさんに萌える傾向があると「メイド属性」となります。キャラに萌えているのですから、「シチュエーション萌え」では起こりにくいと思われます。
 「メイド」というインターフェイスがあり、「メイド属性」の人はこのインターフェイスを継承しているキャラに萌えているわけです。ギャルゲー誕生以降、「姉/妹」「幼馴染」「先輩/後輩」などの先天的なインターフェイス、「メガネっ娘」「ドジっ娘」「ツンデレ」などの後天的なインターフェイス、「メイド」「委員長」などの役職的なインターフェイスが開発されて現在に至っています。
 デ・ジ・キャラットの成功で、属性を組み合わせたら萌えキャラを作れると言われたことがあります。これは一部正しくて、大部分が間違っています。いくら有用なインターフェイスを継承していても、適切に実装できていなかったら萌えキャラにはなりえないのです。

 最後に、「オタクのパラダイムシフト」について書いてみます。
 かつて「物語」が主役だった頃は、プログラムで言えば構造化設計なのでしょう。現在は「キャラ」が主役で、キャラを活かすために物語があります。構造化設計からオブジェクト指向へパラダイムシフトが起きたように、「物語」から「キャラ」へパラダイムシフトが起きたわけです。
 また、「[冲方式]ストーリー創作塾」(冲方丁)などから考えるに、「デザインパターン」のようなものが作られているように感じます。例えば、「百合」という属性は関連性なので単一のインターフェイスでは表現できません。しかし、Aに「姉」、Bに「妹」というインターフェイスを追加して、「姉が妹のタイをなおす」というメソッドを追加すれば表現できます。このような関連性を上手く表現できれば、「シチュエーション萌え」を上手く説明できるのにと思うのですが、引数にオブジェクトをとる場合の手法が理解できていません。
(途中でオブジェクトにインターフェイスを追加できるデザインパターンってあったかな?)

 以上、萌えとオブジェクト指向を強引に結びつけたわけですが、いかがだったでしょうか?
 2006年は腐女子の言葉が流行りそうな気配がするんだけどどうだろう?

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