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2016年8月 9日 (火)

論理的な文章

 スマホが充電できなくなったので、修理してもらったのですが、直ってないような気がする(笑)。コネクタを接続して放置していても充電できる状態と充電できない状態が交互に起きている。正規品のACアダプタを使用しないとダメってことなのかな?
 microUSB以外にもうひとつ使える端子(マグネット充電端子)があるので、それを利用して騙し騙し使い続けようとは思いますが、そろそろ買い替え時かもしれません。ソニー、ちょっと恨んでるぞ(笑)。 

 ショック療法の末にようやく光明が見えました。ショック療法はきついですね。軽い鬱の症状を経験しちゃいます。眠れなくなるし、軽い吐き気がするし。
 それでも、様々なことに気づけて良かったように思います。心の腫瘍を取り除く外科手術だったのかもね。かなり頭の中を整理できました。
 ようやく何年かぶりに音楽を楽しく聞けるようになったのが大きいです。
 エニアグラムのタイプ5は心理学にハマりやすいらしいです。そういうものを利用しないと他人に興味を持てないからかもなあ。「アドラー心理学」が流行っているので、そのあたりから徐々に調べていこうと思います。

 だんだん光明が見えた瞬間を忘れてきている。危険な徴候だなあ。
 子供の頃に体調が悪かった理由もようやくわかりました。抜毛した理由もわかったかな? 半分はストレスです。豆腐メンタルのため、ストレスにやられてた。これで通常時も軽く体調不良です。
 そして、勉強する際に過集中を使うことが多かったのが、体調不良の理由だと思います。過集中になると体温が上がって脳が常に高速で回転している状態になります。特に試験があるとこの状態が続く。そして、過集中後に虚脱が襲ってくる。体に相当な負担をかけていたと思います。
 久しぶりに試験勉強をして、この状態になったので懐かしさを覚えると同時に恐怖を覚えました。過集中を使ってでもボロボロになって頑張るか、過集中を使わずに頑張らずに生きるか選択を迫られています。どちらを選択するのがいいのだろう? 今年度いっぱい考えようと思うけどボロボロは嫌ですわ(笑)。
 短期記憶ができないから通常は覚えられないのに、過集中状態で勉強して寝ると覚えられるんですよね。今回明確にこの状態になってビックリしました。フラッシュバックに近い状態で、長期記憶に書き込まれるのかもしれません。強引な覚え方すぎますよね。
 「やればできる」というのは、過集中のことなのかもと思います。「過集中を使えばできる」という意味ね。過集中持ちで頻繁に使える人は尊敬します。よくボロボロにならないなあ。

 親の言葉は「呪いの言葉」になるんだなあ。恐らく知らず知らずのうちに行動が縛られているようです。親から子に向けて「あなたのため」と言うのはダメらしい。散々言われた記憶があるぞ。私にとっての呪いの言葉は「我慢しなさい」のように思います。我慢しても何も解決しないよ。
 親殺しの儀式(実際に殺すのではなく、精神的に乗り越えるという意味ね)が必要なんかなあ。理解はしているものの、発狂されるのがわかるからどうも乗り気じゃない。やり方とか調べてみるかね。

 実はもうひとつ障害を持っている予感がしています(笑)。人の顔と名前を覚えられません。恐らくADHDの延長線上にあるのでしょう。「相貌失認」と言われる症状ほどはひどくないのですが、その人に会えばわかるものの、全くイメージできません。
 そして、人の名前を覚えられない。幼稚園の時に気づき、小学生の時は出席番号1番から丸暗記しました(笑)。中学以降はごまかす技術を覚えてやりくりしてたのですが、小学生の時の方法が一番良いように思います。ただし、覚える行為が嫌いなので相当苦痛なんですよね。(名前を覚えられないのはこのせいもあると思う)
 実は、趣味のアニメやラノベでも名前をあまり覚えていません。オタクとしてあるまじき行為。
 「ゆかりは~」とか「いえすっ!アスミス!!」みたいなのは、私のような記憶がおかしい発達障害には効果的だと思います。刷り込みで入ってくる(笑)。なぜか覚えられる。一度覚えて長期記憶に格納されるとなかなか忘れない人種でもありますしね。

 しかし、エニアグラムタイプ5のADHDってADHDに助けられていることも多いみたい。逆にADHDに本来の特性が殺されていることもあるのかな?
 タイプ5は考えがまとまるまで動けないらしいんですよね。しかし、ADHDの衝動性で動いてしまう。このブログもまとまっていないのに、ADHDの忘れすのが怖いという恐怖感で書いている。(ブログとして外部に見せる必要はないのかも)
 タイプ5は論理的に考えるのに、ADHDのせいか論理的ではない。でも、タイプ5だから理屈っぽい。「なんで?」って他人には訊くのに、本人は論理は飛躍している。
 相反する性質があるのに、これで成り立っているのが非常に不思議です。
 頑固な2つの執着心が心の中でぶつかるように感じてもどかしいことがあったけど、ひょっとするとこれなのかもね。

 オリンピックが始まりました。メダルを獲得したシーンだけ見るかな。今年は見ている余裕がなさそうです。

 タイトルと関係ない内容の方が長いですね。ごめんなさい。


非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門

 私の説明がおかしいのは以前より分かっていたので、興味はあったのですが、なかなか読めていませんでした。必要がないと動けない性格なんだよな。ADHDでキャパが一杯になるせいで、自動的にはじき出されているだけな気がします。

 本書によると、文章には「日記文」と「クイズ文」があるそうです。日常見るほとんどの文章が日記文で、クイズ文は「問題・結論・理由」がある特殊な文章ということです。このブログも当然「日記文」ですね。日記文の多くは、事実+感想という流れのようです。「それあなたの感想ですよね」という文が日記文です。新聞の記事も多くがこの形式らしい。

 本書によると、クイズ文は問題→結論→理由→想定される反論とその再反論→結論の確認とすると良いらしいです。ディベートで行うことに近いように思います。本書でもディベートが紹介されていますが、ディベートを行うとクイズ文が身につくと書かれています。
 クイズ分は反論できるのが正しく、反論できない文章は論点がはっきりしていないということのようです。日記文では何を問題としているのかわからないことが多いということですね。
 また、問題はその前に背景説明を行う必要があります。問題だけだと読む人に理解できないからですね。私はこの背景説明が抜けます。というか、ほとんど抜けています。普通の人は背景をイメージできてるのだろうな。
 厳密には、クイズ文は背景説明→問題(~か?)→理由(なぜなら~からである)→想定される反論→再反論→結論ということになりそうです。

 本書では良くない「理由」がいくつか例示されています
 「出世した人の中には、大学卒でない人もいる。だから、大学の勉強は必ずしも役に立たない」というのは理由にならないそうです。「出世するためには必ずしも大学卒である必要はない」から「大学の勉強は必ずしも役に立たない」へ論理の飛躍が起きているようです。
 この形式の理由って世の中でよく使われていますよね。「発達障害の中には天才がいる。だから、発達障害はダメ人間じゃない」とかね。たまたま一部の人がうまくいったことが理由になるのはおかしいよなと思っていたけど、本書を読むと確かに理由になっていないんだなあと感じました。
 △△でも○○や○○という立派な人がいるという理由はよく使われるので、気をつけて読むようにしたいと思います。

 私は論理的でないので、クイズ文を練習していきたいと思います。「習うより慣れよ」方式で、背景説明できるように、論理の飛躍が起きないようにしていきたいです。


追いつめる親 「あなたのため」は呪いの言葉

 本書を読んで、私はアダルトチルドレン/アダルトチャイルド(AC)なんだと思い至りました。自分に自信がない人はACを疑った方が良いです。私も疑ってはいたけど、信じたくなかったのかもしれない。

 ACのままだと自立できません。一番ひどいケースは、経済的にも精神的にも自立できていないケースでしょうね。これが一般にアダルトチルドレンと言われるケースなのかもしれません。
 他には、精神的に自立できたのに、経済的に自立できないケース。独立したいのに、うまく独立できずに実家に戻ってきたのでしょう。かなり悲惨な結末になるようです。
 そして、隠れACと言っていいのが、経済的に自立できたのに、精神的に自立できないケース。私はこれです。親の言葉に縛られていました。この呪縛から逃れるのは容易ではありません。

 親となる人はこの本を読んで欲しい。本を読む習慣がない人も多いので、読めない場合は少なくとも知った方が良いです。
 親は良くても、子供が苦しむから。
 ACって家族で連鎖するらしいです。ACの親がACということはあるらしい。共依存になっているんだって。生きる目的がわからない人が親になると、子供を生きる目的にしてしまう。そして、子供がACとなり、生きる目的がわからなくなる連鎖。

 親と子供は別人格と割り切ろう。たぶん、それができたら、ACは生まれない。
 日本社会はこのACが増えているような予感があります。反抗期がない人が増えてるんじゃない? それは多分ACなんですよね。親を精神的に乗り越えられず、自分に自信がない。

 身近な人にもいそうです。だからといって指摘しにくいよなあ。結局、私自身の問題であり、その人自身の問題なんですよね。
 私も親とどのように対峙するのか考えようと思います。多分逃げずに向き合うことが大事でしょう。

嫌いな上司に怯えない禁断の教え アドラー心理学

 kindle版だけなのかな? 私の場合、嫌いというよりは上司と対峙するのが苦手です。恐らく父親と対峙できてないというのが非常に大きいのでしょう。

 本書を読んで上司とうまく付き合う方法は何となくわかりました。あとは実践あるのみかな? 初めてアドラー心理学で明確に役立ちそうです。
 ポジティブに考えろとかそういうのは、ネガティブに考える人にとってはかなり難しいんですよ。本書はそういうのじゃない。ネガティブでもできそうなことが書かれています。

 他人の領域と自分の領域を分けることを「課題の分離」と言うようです。自分のできることと他人のできることを明確にする。自分と上司の間に境界線を引くことが重要らしいです。「相手はコントロールできない」ということですね。期待するから裏切られるんです(笑)。
 自分がやれることだけに集中すれば良いようです。というか、これしかやれない。

 あなたの言動に悪意がないのならば「あなたに罪はない」ということらしいです。「間違い」「失敗」を決めるのは上司で、自己評価は高くて良いらしいです(笑)。やりすぎると自己中心的かな?
 「上司と本当はどうなりたいのか?」を絶えず自分自身に問いかけるのも重要らしいです。
 また、「自分の関心に関心を持つ」ことも重要。他人軸で生活している人は、心がけると良さそうです。ACだった自分も、自分の関心に関心を持っていきたいと思います。

 アドラー心理学では、主従関係や支配関係でなく、ヨコの関係にあるときに健全なコミュニケーションが築けるらしいです。意識の上で上司と対等の関係にあるだけで、自信を持って発言できるようになるらしい。こうなれるように努力していこうと思います。

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コメント

試しにクイズ文を書いてみようとして全く書けていなかったので、稚拙ですが一念発起で書いてみます。

○民主主義は平和をもたらすのか?

 独裁国家が民主主義国家になると、その周辺地域が平和になるような報道が多い。独裁国家は戦争を起こしやすく、民主主義国家は戦争を起こしにくいという主張である。
 果たして、民主主義によって周辺地域が平和になるのだろうか?

 私は、必ずしも民主主義は平和をもたらさないと考えている。
 なぜなら、民主主義は他国をないがしろにすることにつながるからである。

 民主主義国家では法律に従って国民の代表を選ぶ。国民の代表が統治するのが国家である。選挙のたびに国民は国家を意識することになる。国家を意識しすぎるあまり、愛国心が高まり、他国をないがしろにする人が生まれる。民主主義が進んでいるアメリカでも、他国をないがしろにするトランプ氏が人気である。

 民主主義国家でも他国をないがしろにする国民が増えると、その代表者が戦争を引き起こすことになる。独裁国家が民主主義国家になったときにも、その国が戦争を起こす可能性を考えた方が良い。

 うーん、根拠が弱く数字がないですね。もっと精進が必要です。

投稿: せつな朱遊 | 2016年9月22日 (木) 17時40分

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